2009年06月15日

食べ方は塩焼き、田楽、ハタハタ汁など

食べ方は塩焼き、田楽、ハタハタ汁など。ハタハタ寿司はなれずしの一種で、保存食となる。

鱗が無いことと小骨が少なく脊椎も身から簡単に離れるため、一匹丸ごとかせいぜい頭を落としただけの状態で煮たり焼いたりすることが多い。鮮度のよいハタハタを焼いた場合、尾びれの付け根で骨を折っておくと頭のほうから脊椎が全部きれいに抜け食べやすい。

塩蔵したものや味噌漬けにしたものを煮たり焼いたりして食べることも多い。これらはタンパク源が少なくなる雪国の冬を乗り切るための重要な食材であった。

ハタハタを塩漬けにして発酵させたものは「しょっつる」(塩魚汁または塩汁)と呼ばれる魚醤となる。これを用いてハタハタ、野菜、豆腐などの「しょっつる鍋」をつくる。秋田では醤油や魚醤による鍋のことを「かやき」と呼ぶため、しょっつる鍋もしばしば「しょっつるかやき」と呼ばれている。なお、「かやき」は大きな貝を鍋代わりに使う意味の「貝焼き」が訛ったものと思われる。

ブリコ [編集]
ハタハタの卵は「ブリコ」と呼ばれる。ハタハタ漁の時期、雌の多くは直径2?3mmの卵をたくさん腹に抱えており、この卵の周りはヌルヌルとした感触をもった粘液で覆われている。
アジアの美術
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柴犬について
生命の誕生
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版画
オークション
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生のハタハタを焼いた場合、この卵の固まりをかじると口の中で小気味よくプチプチとはじけてうま味が広がる。塩漬けや味噌漬けにして保存したハタハタの場合、卵の皮がゴムのように硬くなり噛むと顎が疲れるくらいになる。このくらい皮が硬くなると、噛んだ時の音が「ブリッブリッ」という鈍い音になる。これが「ブリコ」と呼ばれるゆえんである。

秋田音頭の歌詞に出てくる「男鹿で男鹿ブリコ」のブリコとはこれのことである。

その他 [編集]
秋田弁では「ハタハタ」の「タ」の音は鼻濁音で発音される(鼻に息を抜きながら発音される)。このため、しばしば「ハダハダ」という音に聞こえる。

秋田では関ヶ原の戦いで佐竹氏が秋田に移封してきた年以降大漁になった事から「サタケウオ」とも呼ばれ、秋田に移った佐竹氏を慕って水戸からやって来たとの逸話がある。

2009年05月30日

絵島

絵島(えじま、天和元年(1681年) - 寛保元年4月10日(1741年5月24日))は旗本・白井平右衛門の娘で、江戸時代中期の江戸城大奥御年寄である。名前は「江島」が正しいとされている。歌舞伎役者・生島新五郎とともに大奥につとめる多数が処罰された風紀粛正事件、絵島生島事件の中心人物である。

三河国に生まれ、江戸で育つ。実父・疋田彦四郎(甲府藩士)の死後に母が再婚したため、平右衛門の養女となる。彼女は最初、尾張徳川家に仕えた。次いで甲府徳川家の桜田御殿に仕え、藩主・徳川綱豊が6代将軍・家宣になるとともに大奥入りする。
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家宣の側室で7代将軍・家継の生母であるお喜世の方(後の月光院)に仕え、その月光院の右腕とも言われていた。大奥の公務一切を取り仕切り、大奥内で最も政治的権力を持つ御年寄の立場にあった。

正徳4年(1714年)、月光院の名代として前将軍・家宣の墓参りのため奥女中の宮路らと共に寛永寺、増上寺へ参詣。その帰路の途中、木挽町(現在の東京都中央区東銀座界隈、歌舞伎座周辺)の芝居小屋・山村座に立ち寄り、帰城が遅れた。その門限に間に合わなかった咎で評定所の審理を受ける。山村座の役者であった生島との密会を疑われ、死罪を減じての島流し処分と裁決が下りたが月光院が減刑を嘆願したため、結局は信濃高遠(現在の長野県伊那市高遠町)へ流された。また連座者として、旗本だった絵島の兄・白井平右衛門は斬首、同弟は重追放の処分を受けた。

27年間の閑居生活の後、寛保元年(1741年)に死去。墓所は蓮華寺にある。法名は「信敬院妙立日如大姉」。

2009年04月26日

塩が関係する言葉・故事・慣例など

日本
御塩
伊勢神宮での神事に用いられる塩は、塩田で作られた後、御塩殿神社にあるかまどで焼き堅められる。

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清めの塩
日本神道では、塩を穢れを祓い清める力を持つとみなす。そのため祭壇に塩を供えたり、神道行事で使う風習がある。また、日本においては死を穢れの一種とみなす土着信仰がある(神道に根源があるという)。そのため葬儀後、塩を使って身を清める風習がある。これは仏教式の葬儀でも広く行われるが、仏教での死は穢れではないとして葬儀後の清めの塩を使わない仏教宗派もある。
沖縄県の宮古島では神道や仏教ではないが、土地の習慣で海でお祓いをする儀式の時に塩を用い、また、清めの意味で玄関などに袋入りの塩を置く。
さらに、相撲においては、取組み前に塩を使って土俵を清める。これは、神道思想に基づくものであるが、同時に塩による殺菌効果がある。
また、家に来た嫌な客が帰った後に、清めるのはもちろん二度と家に来ないようにと玄関に塩をまくこともある。
古来より灰も殺菌・洗浄効果のある身近な化学物質として用いられ、清め塩同様に穢れを祓い清めることに用いられることがあった。
敵に塩を送る
内陸国である甲斐の武田信玄と日本海に面した越後の上杉謙信は当時交戦中であった。その最中、当時甲斐に塩を供給していた駿河の今川氏は武田氏と反目し始め、甲斐への塩の輸出を絶ってしまう。それを知った謙信は、永禄11年1月11日(1568年2月8日)に、越後の塩を送ったとされている(ただし、これはただ単に武田との物資のやり取りの禁止をしなかっただけとも言われている)。敵対国であるにも拘らず、塩を送った謙信の行為は高く評価され後世に伝わる。ここから「敵に塩を送る」(敵対する相手に援助を差し伸べること)という言葉が生まれた。松本市中央の本町にはその時塩を積んだ牛をつないだという「牛つなぎ石」が残っている。
手塩に掛ける
自分自身の手で大切に育て上げること。近年では加工食品などを丁寧に作る時などにも用いる。類似する言葉として「腕に縒りを掛ける」「丹精を込める」「手間隙掛ける」などがある。手塩とは、食膳に清めとしてや好みの塩加減にするために盛られた塩のことで、その塩で味の調整をすることを手塩に掛けると言ったのが語源である。
日本手話の塩
かつて日本で塩で歯を磨いていたことに由来する。
盛り塩
日本国内で飲食店など第三次産業の店舗入り口に塩を盛り付けておく慣習で、客を集める縁起担ぎである。由来は西晋の武帝(司馬炎)の故事にある。司馬炎は、自分の後宮に美女を多数住まわせており、羊に引かせた車に乗って後宮を巡り、羊が立ち止まったところの女性と一夜をともにすることにしていた。あるとき数日続けて、同じ場所で羊が足を止めることがあった。その理由は、その場所に住んでいる女が、塩を盛り付けて置いたためであり、羊は塩を舐めるためにそこに立ち止まったという。

日本以外
語源
古代ローマにおいて、兵士への給料として塩(ラテン語 sal)が支給された。英語の salary (サラリー; 「給与」)はここに由来している。
食品に関する語彙には当然ながら「塩」に由来するものが多い。ラテン系由来の語彙に限っても、「サラダ(salad)」「ソース(sauce)」「サルサ(salsa)」「ソーセージ(sausage)」「サラミ(salami)」などは明らかである。
英語の salt (ソルト; 塩)はラテン語に由来するわけではないが、より古いインド・ヨーロッパ語の基層において同じ語源につながる語であり、この事実自体、先史時代以来、塩がいかに身近で重要なものだったかを示していると言える。
塩の柱
創世記第19章において、悪徳都市ソドムとゴモラが滅ぼされる際、神の使いが脱出するロトの家族に振り返るなと告げたが、ロトの妻は振り返ってしまい(見るなのタブー)「塩の柱」となってしまったという記述がある。
地の塩
マタイによる福音書には「地の塩・世の光」を規範として述べている部分がある。これは塩に腐敗を防ぐ作用があることがよく知られていたことを示す。キリスト教信仰者があらゆる「腐敗」から離れているべきことを示す教訓。
独立の塩
1930年にマハトマ・ガンディー並びに彼の支持者が、イギリス植民地インド政府による塩の専売に反対し、製塩を行うための抗議行動のために塩の行進を行う。インド独立運動におけるガンディーの非暴力不服従の象徴とされる。

料理における塩
振り塩
化粧塩
立て塩

その他
女房言葉では「波の花」とも呼ぶ。塩(死を)連想させる忌み言葉のため。

2009年04月10日

ジャガイモ飢饉

ジャガイモ飢饉(じゃがいもききん、英語: Potato Famine、アイルランド語: An Gorta Mór あるいは An Drochshaol)とは、19世紀のアイルランドで主要食物のジャガイモにジャガイモ疫病が発生し枯死したことで起こった食糧難をきっかけに、植民地政策に起因する被害の増大とその結果をさす。

19世紀はじめ、イングランドによって土地を奪われたアイルランド人は小作農にならざるを得なかった。おもに麦を栽培していた小作農家たちは、地主に納めなくてもよいジャガイモの栽培を始め、農民たちの唯一の食料となっていった。

しかし、1845年から1849年の4年間にわたってヨーロッパ全域でジャガイモの疫病が大発生し、壊滅的な被害を受けた。これは"Great Famine"と呼ばれて、歴史の方向を変えたとさえ言われている。

このジャガイモ飢饉の発端とされるジャガイモ疫病は、植物の伝染病の一種であるが、このような伝染病が蔓延する為には、感染源、宿主、環境の三つの要素が揃うことが必要である。ジャガイモが当初ヨーロッパに持ち込まれた時には、この中の感染源となる病原菌そのものがメキシコの特定の地域に限定されていて、ヨーロッパには未だ伝来していなかったものと推定されている。

その後、何等かの理由によりジャガイモ疫病の菌が北アメリカよりヨーロッパに持ち込まれて急速に蔓延して、ジャガイモ作物に壊滅的な被害を与えることになった。その当時はまだこのような微生物が病気を引き起こすという考え方そのものが一般的に受け入れられていない時代で、Phytophthora infestansがその原因となる菌であることが明らかにされたのはさらに下って1867年のことであり、アントン・ド・バリーの功績による。当時のヨーロッパでは、疫病のような病気そのものが存在することすら未経験であり、これがヨーロッパにおける最初の蔓延であった。

さらに、ジャガイモは通常前年の塊茎を植えるという無性生殖による栽培法を用いるが、ヨーロッパでは、収量の多い品種に偏って栽培されており、遺伝的多様性がほとんどなかった。そのため、菌の感染に耐え得るジャガイモがなく、菌の感染がこれまでないほど広がった。ジャガイモが主食作物であった原産地のアンデス地方では、ひとつの畑にいくつもの品種を混ぜて栽培する習慣が伝統的に存在し、これが特定の病原菌(レース)の蔓延による飢饉を防いでいたのである。

状況・対応 [編集]

植民地政策 [編集]

イングランドへの食料輸出 [編集]
記録によれば、飢饉の最もひどい時期においても食料はアイルランドから輸出されていた。アイルランドで1782年から1783年に飢饉が起きた際は、港は閉鎖され、アイルランド人のためにアイルランド産の食料は確保された。結果すぐに食料価格は下落し、商人は輸出禁止に対して反対運動を行ったが、1780年代の政府はその反対を覆した。しかし、1840年代には食料の輸出禁止は行われなかった。

アイルランドの飢饉に関する権威の Cecil Woodham-Smith の著書 The Great Hunger; Ireland 1845-1849 によれば

(前略)飢餓でアイルランドの人々が死んでいっている時に、大量の食物がアイルランドからイングランドに輸出されていたという疑いようの無いこの事実ほど、激しい怒りをかき立て、この二つの国 (イングランドとアイルランド) の間に憎悪の関係を生んだものはない。

アイルランドは5年間の飢饉の間のほとんどを通して食料の純輸出国であった。

リバプール大学のフェローで飢饉に関する2つの作品、Irish Famine: This Great Calamity 及び A Death-Dealing Famineの著者の Christine Kinealy によれば、子牛、家畜類 (豚を除く)、ベーコン、ハムのアイルランドの輸出料は、飢饉の間に増加をしていた。飢饉が起きた地域のアイルランドの港からは、護衛に守られながら食料が船で輸出されていた。しかし、貧困層は食料を買う金もなく、政府は食料輸出禁止も行わなかった。

アイルランドの気象学者の Austin Bourke は著書 The use of the potato crop in pre-famine Ireland の中で、Woodham-Smith のいくつかの計算に異議を唱え、1846年12月の輸入量はほぼ2倍になっていると書いている。彼によれば

簡単なその場しのぎの穀物のアイルランドからの輸出禁止では、1846年のジャガイモの収穫を失った事による不足分に対応する事は出来なかったのは明らかである。

結果 [編集]

犠牲者
この飢饉の間にどのくらいの死者が出たかは不明である。しかし、ヨーロッパを広範囲に襲ったコレラやチフスよりも多くの死者が出たとも言われている。当時国勢調査はまだ始められておらず、教会に残された記録も不完全である。多くのアイルランド教会の記録は(アイルランド教会へのカトリック地方教会の十分の一税徴収の記録を含む)、1922年のアイルランド内戦の際にフォー・コーツ放火により消失した。

一つの可能な見積もりとしては、1850年代の最終的な人口と比較することである。もし飢饉が発生しなければ、1851年にはアイルランドの人口は800-900万人になっていたはずだと考えられている。1841年に行われた調査では、人口は800万人を少し超えていた。

しかし飢饉の発生した直後、1851年に行われた調査では、アイルランドの人口は6,552,385人であった。10年でほぼ150万人が亡くなったと考えられる。現代の歴史家と統計学者は、病気と飢餓のせいで80万人から100万人が亡くなったと考えている。加えて、100万人以上のアイルランド人がイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどに移民し、その後10年でさらに100万人が移住した。

アイルランドは19世紀の人口に比べて20世紀の人口が減少している唯一の西欧の国である。近年の経済成長などもあり最近では増加傾向にあるが、2007年現在、アイルランド共和国と北アイルランドを合わせた全島の人口は未だに約600万人と、現在に至るも大飢饉以前の800-900万人という数字には及んでいない。

移民 [編集]
ジャガイモを主食としていた被支配層のアイルランド人の間では100万人以上ともいわれる多数の餓死者を出した。また、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどへ計200万人以上が移住したといわれる。

影響
飢饉の際のイングランドの無策はアイルランドのイングランドへの不信感を増幅させ、宗教政策ともあいまって独立運動のきっかけとなった。
イギリス政府の行動が意図的な飢餓輸出かそうではなかったかで、未だに歴史的評価が定まっていない。
犠牲となった多くが被支配層であるアイルランド人であったため、アイルランド語を話す人口が激減する結果ともなった。
アメリカ合衆国に渡ったアイルランド人移民はアメリカ社会で大きなグループを形成し、経済界や特に政治の世界で大きな影響力を持つようになった。この頃アメリカへ移民した中にケネディ家の祖先も含まれていた。

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2009年03月26日

大福太陽の光から逃れ

凶眼党
大福太陽の光から逃れ、現在も凶悪魔としての自我を保つ残党達。通禁特別海賊をヘッドに組織され、銀河に争乱を巻き込むべく破壊活動を続ける。
真天聖軍
新紀元和合1960年の勢力の一つ。天使のみで構成される軍団で、イリダールに天使の独立国家を築かんとし、悪魔の根絶を目的としている。
勇撃師団
新紀元和合1960年の勢力の一つ。真天聖軍と戦う天使と悪魔の混合軍。元々はイリーダルの近衛兵隊で、パルージアの守備隊だった。
サプリメン党
多くの世界に散らばり、その繁栄と滅亡の秘密を知るという謎の一族。表立つ事を控え、抱える秘密を守る為に「沈黙の仮面」という意識封印技術を持つ。また聖魔和合界のサプリメン党は代々イリーダルヘッドの神子受胎を手伝うという使命を持つ。
超魔力爆戦機構(デビルフォース・ウォーリアス)
かつての悪魔属ヘッド「スーパーデビル」の復活を狙う秘密結社。そこには猊下ホアノモスの関与が?

種族・存在 [編集]
両属性具有(アンヴィヴァレンツ)
超聖神が生み出したとされる最初の存在。天使と悪魔の両方の性質を持つ完全無欠の存在だったが、悪魔属性の肥大化によって慢心し、超聖神に反逆して処罰された。それによって天使属と悪魔属の半身ずつに裂かれたとされているが・・・?
深層使徒(しんそうしと)
深層の意思を実行する存在にして超聖神を超える高位の神々。本編では特異転グランデロアと特異仙グランリーニュが該当する。
深層養基亜神(しんそうようきあしん)
深層の神々から直接神の力を与えられた意識体で、「無から有を生み出す」事さえ可能な神に似た存在。
時空属性(じくうぞくせい)
あらゆる時間を見守る神でも命でもない存在。霊精層を中心に両方の橋渡しをするのが使命。
赤い瞳のビースト
歴史上からその存在を抹消された存在。新紀元和合1960年に現れ、当時一つだった聖魔和合界の大地を砕いて99のゾーンに変えた。
幽心命(アストラル・カインド)
死して尚無間冥王獄に落ちる事無く、生も死も無く霊精層に漂う特異な存在。時幽心コマチがこれに該当し、彼女が幽心命となれたのは当時彼女が妊娠しており、彼女自身が「その子の為に生きたい」という強い「命の力」があった為である。

能力・現象 [編集]
集中豪無(しゅうちゅうごうむ)
時層に突如出現し、現存するあらゆる世界を消滅させ、再創造さえも起こす謎の怪現象。その原因は新紀元和合1960年代にあるとされているが・・・?
理力聖重壁(りりょくセントウォール)
イリダール国境に築かれている光の障壁。突破しようとすると強烈な波動が天使属・悪魔属ともに焼き尽くす。
魔結界(まけっかい)
トリスダルナ周辺に張られている対天使属性用守護結界。
戦使の遺伝子(せんし-いでんし)
戦使を戦使たらしめる要素で、「戦いの本能」とも称される。血筋によって受け継がれていく。その起源は謎に包まれているが、神が生み出したものらしい。
カミゲノム
神を神たらしめる要素。
漢力(おとこぢから)
ゲンカク番長の男気と魔力が合わさって発揮されるとてつもない力。普段は眼帯によってその発生を抑制している。息子のバカラには同質の力が継がれている。
終滅(ネクロノン)
数知れぬ世界から長い年月をかけて溜まり、凝縮された悪性のエネルギー。

計画 [編集]
理魔力天無撃裂滅計画(りまりきてんむげきバースト・オペレーション)
虹天紀27年において発案された、集中豪無が発生したらその拡散を抑え込み、内部から発生源を破壊する装置を作る計画。

武器 [編集]
閃斬鎖剣(せんざんチェーンソード)
デミアンの持つ武器。タケルの斬撃鉾にアズールの大破剣の死の力が合わさって造り出された。
夢鉄砲フェザーキャノン(むてっぽう-)
時の糸とフシールの力が合わさって大型銃器。「夢導時光弾(ドリムブリット)」という「時間」をエネルギーとする弾丸を放つ。
デストロッド
デミアンが奈落の中で得た混沌で出来た変形自在の杖。その獲得にはジョーカードが関わっている。
天無撃裂砲(てんむバーストほう)
カンジーが天聖理力砲を元に設計した巨大砲。理力と魔力を集約して砲撃する。

年号 [編集]
虹天紀
虹天銀河が出来てからの新しい暦。集中豪無事件が起きたのは虹天紀0027年。

浜千鳥 トーイング オープ ロースト キャリア サード ハワイ国内 ウィフト センシー パック クガイソウ ナイフ 蒼い時刻 ソムリ フレキシ ダーク チリパ ムクゲ ファイヤー フット スピロ フライ アイス ダビング 恋のもだえ マカルー ヒナゲシ かご ロード ヤツデ いまどき いかだし マラヤ ウルナビ プレーヤー パーテ ダイアル ガイドつげ マッチ ジハード スタック ソーダ ビーナス キンシャ トクルフト パテントレ フェオ うみう ジクス フェニキア

2009年03月10日

今日のサルヴァドール

市街はcidade alta(上の町)とcidade baixa(下の町)に分かれている。大聖堂と政府関係の建物が最も高い地点にある。町にはブラジル初の大聖堂、最古の医学校など植民風の建築物が多く残されているとともに、アフリカの影響を受けた文化の存在も有名になってきている。住民の多くはアフリカから渡ってきた人たちの子孫である。ヨルバ・カンドンブレや格闘技カポエイラの中心地であり、350もある教会により、「黒いローマ」と呼ばれるほどでもある。アフリカ文化の影響は、料理や音楽、生活文化を通して地域の外にまで広がっている。
ネオクラ スタンド タックイン グッピー べにま おおつち シモツ タンリム スカッシュ シャイ ネオコン マンハント タロ芋 ダスド チューハイ トーナル けまり ミトン ヒュミント よめな ブレンド ベローズ マラン バッジ ブラック クロチ 街道の扉 フィック ピステ トライ ボーイ カキド ルイベ フルオート プロタミン シャント ロジック ビバーク ワルフ カレンシー ション イワヒバ ファーコ ネメシス ネオカ 影の館 グリー ボンボン ヒーター ドゥー炉

音楽的にはサンバは、サルヴァドールが発祥の地ともいわれる。またブラジルを代表する偉大な作曲家ドリヴァル・カイーミやガル・コスタ、グラミー賞を受賞したジルベルト・ジルといった、 MPB(現代ブラジルポピュラー音楽)のミュージシャンや歌手などスターなど、多くの著名なブラジル人の出身地としても知られる。ジルベルト・ジルはのちに市の評議会委員を経て、ブラジルの文化大臣も務めた。

ここ最近(およそ20年間)には、さらにバイーア風のポピュラーな音楽であるアシェ(Axé)が生まれた。ダニエラ・メルクリやイヴェッチ・サンガロはアシェの代表的な歌手である。またカルナヴァルの時期には、地域密着型の音楽集団であるブロコ・アフロ(Bloco Aflo)も数多く結成された。中でもオロドゥンは世界的にも知られる。ブロコ・アフロはオロドゥンに限らず社会的な活動を行う文化団体としての顔も持っているのが特徴である。これらの歌手やミュージシャン、またバンドのCDは日本でも発売され、随時来日公演も行われることから、次第に知られるようになっている。

サルヴァドールの識字率は81%、平均所得はおよそ月447ドル(1990年代後半)である。貧困地域では公衆衛生が問題となっている。約三分の一の住民の家は下水道も浄化槽も整備されておらず、現在バイーア州政府ではBahia Azul, Viver Melhorといったプロジェクトに取り組んでいる。美しいビーチは歴史地区ペロウリーニョとならんで観光地だが、この影響で湾内の水質が悪いため、観光客にはイタポアンなど半島の大西洋側の海岸が勧められている。

サルヴァドール大都市圏のカマサリには、フォードの自動車工場があり、エコスポルトやフィエスタといった車種の組み立てをしている。

交通
サルヴァドールでは現在地下鉄を建設中である。二つの路線からなり、バスと鉄道とともにネットワークを形成する予定である。第一期区間は2006年から、遅くとも2007年初頭の開通が予定されている。

サルヴァドールには国際空港があり、国内外の多くの都市と結ばれている。IATA空港コードはSSA、ブラジルで六番目に運航量の多い空港である。

国際線就航都市

リスボン
マドリード
ブエノスアイレス
サンティアゴ
マイアミ
以下季節運航

アムステルダム
フランクフルト
チューリッヒ
ミラノ
テルアビブ
ルアンダ(アンゴラ)

大学
Universidade Federal da Bahia
State University of Bahia
Catholic University of Salvador

サッカークラブ
ECバイーア
ECヴィトーリア

2009年02月22日

シンダール語(Sindarin)

シンダール語(Sindarin)はJ・R・R・トールキンが開発した人工言語である。トールキンの神話では、かつて最も使われたエルフの言語だった。また、エルフの長途の旅の後に残されたテレリであるシンダールの言語だった。共通テレリ語と呼ばれる初期の言語から派生した。ノルドールが中つ国に戻った時、生来のクウェンヤの方が美しいと考えたが、シンダール語を採用した。没落の前、ヌーメノールのほとんどの人間もまたこの言葉を使った。それについての知識はヌーメノールの亡国の民の王国ゴンドールの特に学識者の間で維持された。
どうぼう みんな一緒 バドガエル タッフバグ パノラマ リージング おぜいゆ野 しうり ヘチマ フジ情報 ブラッド スパーリ キーマン ミール モグタ ピテクス レンギ わっかない ローファー ハード ミネソタ レニン グルユース タリン オクラ ドライスキ ミネル シーケー チェリスト ミカン リーブ アフリカ じょべーぜ ガジェット ラブロマ ボール バジェ ヌーディズ スコタイ チャイナス タイプミス みねばり フランク タンジ ピメント プロフェッ ミント タイル 月曜日 ノルレボ

もとは、ノルドール(エルフの第二の氏族)の言葉にしようと考えていたが(そのため、語源学的に名前もノルドール語(Noldorin)だった)、トールキンはその後シンダールの言語であると決定した。このために、古い資料ではノルドール語(Noldorin)と呼ばれている。ノルドール語をシンダール語にした時、さらに、それはもとは無関係なイルコール語(Ilkorin)のいくつかの特徴を採用した。トールキンは、いくらかウェールズ語に基づいてノルドール語/シンダール語の文法および音を作り、確かに、シンダール語にはケルトの言語を特徴づける音変異が多く見られる。

シンダール語の複数形はトールキンが呼ぶところの「i-affection」によって特徴づけられる。これはシンダール語ではprestanneth(妨害、影響)と呼び、英語では、ほとんど同じことを示すドイツ語の「ウムラウト(umlaut)」と呼ぶ。つまり、シンダール語の単語ほとんどすべてでは、英語のman/menやgoose/geeseのように母音の変化によって、複数形を形成する。もともとの複数形語尾「-î」が単語の母音に影響しこの音に近くなるように変化させたのがその理由である。汚い仕事を行って、それは消えた(すべての最終母音が失われた)。したがって、シンダール語複数はもはや語尾の「-î」がないが、まだその「名残」を残しているのである。

シンダール語には複雑な一連の音変異がある。変異した単語の前に(冠詞あるいは前置詞のような)緊密に関連する言葉があると、変異した単語の最初の子音を変更する。しばしば、前置詞も変わる。さらに、変異が他の多くの場所(わずかな例をしめすと、合成語(mellyn「友達」からelvellyn)や、あるいは直接目的語の中で現れる)で生じる。

さらに、シンダール語動詞は全く複雑である。それぞれi-語幹およびa-語幹と呼ばれる強動詞と弱動詞がある。ちょうど英語の(またドイツ語)強動詞と弱動詞のように、強動詞は弱動詞より「不規則」である。シンダール語にはまったく多くの不規則動詞がある。

シンダール語は、トールキンが十分に開発して本当に大きな文章を書ける二つの言語のうちの一つである(もう一つはクウェンヤ)。

第一紀に、シンダール語にはいくつかの方言があった。

ドリアス語(Doriathrin)多くの古い形式を保存した言語。
ファラス語(Falathrin)後にナルゴスロンドでも使った。
北シンダール語(North Sindarin)、もとはドルソニオンとヒスルムでシンダールが話した方言、これらの方言には多くの独特な言葉があり、本来のベレリアンドのシンダール語とは完全には分かりあえなかった。
ドルソニオンを例外として、方言はノルドール語の影響の下で変化し、クウェンヤの特徴と同様に、(言語を変更することを愛していた)ノルドールが考案した独特な音変化も多くを採り入れた。ノルドールやシンダールがベレリアンドの戦役で散り散りになった後、はっきりした方言は消えた。パラール島やシリオンの河口の避難所では、新しい方言が、難民の間で発生し、それはファラス語に似ていた。第二紀および第三紀には、(シンダール語によって極度に影響を受けたアドゥーナイクAdûnaicの子孫である西方語の共通語に置き換えられるまで、シンダール語はすべてのエルフおよびそれらの友達のための混成国際語であった。

シンダール語は、ウェールズ語に似た音韻を持つようデザインされた。同じ音のほとんどと類似の音韻配列を持つ。

アクセントは長母音を意味する(á, é, など)。単音節語で、曲折アクセント記号が使われる(â, ê, など)。しかしながら、実際的な理由で、ISO Latin-1はýとÿだけで、ŷの字を持たないので、ISO Latin-1の文字のユーザーはしばしばŷの代わりにýを使用する。

二重母音は、ai (aisleのように発音)、 ei (day)、 ui (too young) または (ruin)、 そして au (cow)である。最終二重母音が語を終える場合、awと綴られる。英語の対応するものがないaeとoeという二重母音もある。ae と oe は、ドイツ語の ei/ai と eu/äuのように発音されるので、ドイツ語話者は優位を持つだろう。

古いシンダール語に、ドイツ語の ö (IPA: [[œ]])に似た母音があった。 それは、トールキンがほとんど œ (通常、oeと同じぐらいでなく、しばしばシルマリルの物語のような出版物で見出される。たとえばNirnaeth Arnoediad [読み: Nírnaeth Arnœdiad], Goelydh [読み: Gœlydh])と筆記した。この母音は後に[?]と発音されるようになり、したがって[sc. Gelydh]のように筆写される。

古いシンダール語は、(後期シンダール語では常に[[v]]と発音するが) mh と筆写される摩擦音のmまたは鼻音のv (IPA: [[?]])もまた持っていた。

文法
シンダール語は、その高度に屈折された祖先の特徴を見ることができるが、主に孤立語である。


名詞

複数化
シンダール語の複数形はi-affectionか母音交替と特徴付けられる。このためのシンダール単語はprestanneth (妨害、作用)である。たいてい全てのシンダール語単語は、語の中の母音を変えることで、英語のman/men や goose/geeseのようにその複数形を形成する。それらは原始エルフ語の複数形を作る-ī (クウェンヤではまだ-i)が他の母音を一種の母音調和でより高く前方にさせたが、最終的に-īが失われ、のちに変形された中間母音が残ったためである。単数形 tulus > 原始複数形 tulussī > tylyssī > tylys。シンダール語のこの特徴は、明らかにこの言語にゲルマン語派の影響を示す(ウムラウト参照)。以下に複数形のパターンを記す。

非最終音節
a > e ? galadh > gelaidh
e > e ? bereth > berith
o > e ? nogoth > negyth
u > y ? tulus > tylys
y > y ? (no example available)
最終音節
a と1子音 > ai ? aran > erain
a と2以上の子音 > e ? narn > nern
â > ai ? tâl > tail
e > i ? adaneth > edenith
ê > î ? hên > hîn
i > i ? brennil > brennil
î > î ? dîs > dîs
o > y ? brannon > brennyn
ó > ý ? bór > býr
ô > ŷ ? thôn > thŷn
u > y ? urug > yryg
û > ui ? hû > hui
y > y ? ylf > ylf
ý > ý ? mýl > mýl
au > oe ? naug > noeg (ドイツ語 au > äu)
注 aiはときどき î (または, より一般的でない ý)になりうる。

クラス複数
シンダール語は、いわゆるクラス複数を意味するいくつかの接尾辞も持つ。例えば、-athは何かの集団を示す。たとえば星を意味するelen(êlの古い形)と-athよりelenath。それは、星々の集団 か 空の全ての星々を意味する。他の接尾辞、-rimは種族を示す。つまりドワーフを意味する nogoth と -rim からなる nogothrim は ドワーフたちの種族 を意味する。接尾辞 -hoth は一般的に非友好的な感覚で使う。例えば、 gaur 狼男と -hoth からなる gaurhoth は、狼男どもを意味する。

子音交替
シンダール語は、子音交替の複雑な体系を持つ。軟音変化(または軟音化)、鼻音変化、停止 (閉鎖音) 変化という三つの主要な異なった子音交替のタイプがある。加えて、混合変化もまた特定の小辞や前置詞の後で観察できる。最後にシンダール語もかつて我々が(学者により時々滑変化と呼ばれる)古代摩擦音変化と呼べるものを持っていたと推測できる。この子音交替がいまだ使われているのか古代の構成要素の中でのみ起きるのかいまだ不確かである。

語頭子音交替は、複合語(例えば、Araphor、Arassuil、Caradhrasの名前)でおきるかもしれない同化 (音声学)と混同してはならない。

次の表は、異なる子音変化により異なる子音が影響を受ける様子を概説する。

ここのアポストロフィーはエリジオンを示す。

b-、d-、または古いmb-、nd-、ng-に由来するg-は、以下の子音交替により異なった影響を受ける。

例えば、直示的な冠詞iは、軟音変化を誘発する。tâlのような語が加えられたとき、それはi dâlになる。シンダール語の音韻の歴史において、tは語中ではdになる。つまりi tâlは一時的にひとつの語と考えられて、tがdになって、すなわちi dâlになった。しかしながら、冠詞を除いた語はtâlのままである。

子音交替は以下のような様々な方法を誘発する。

もっとも広範に引き起こされる子音交替である軟音変化は、単数冠詞i、接頭辞athra-, ath-, go-, gwa-, ú-, u-、同様に前置詞ab, am, adel, be, dad, di, na, nu, î、そしてavoの後に引き起こされる。それは複合語の第二要素、名詞の後の形容詞、そして動詞の目的語でも影響を及ぼす。
鼻音変化は、複数冠詞in、前置詞an, danそして複数ninによって誘発される。
混合変化は、属格冠詞en、前置詞ben, erin, nan, 'nin, と uin (単数語をともなう。ただしaglar 'ni Pheriannath "glory to-the Halflings"のように複数であるとき、子音交替は鼻音)によって誘発される。
停止変化は前置詞ed, ned, o(d)によって誘発される。
滑変化はおそらく前置詞orによって誘発される。

代名詞
代名詞は、おそらくシンダール語でもっとも証明不十分な特徴である。比較研究法によって再建されたことは、主に推測的で、同意されなく、したがって、本稿で述べられない。

シンダール語の代名詞は、英語のそれらのように、未だいくつかの格変化を維持している。シンダール語の代名詞は、主格、対格、属格、与格の形を持つ。

シンダール語の動詞は全く複雑でもある。シンダール語の証明された動詞の数は少ないので、シンダール語の動詞体系は不完全に知られている。動詞は利用可能な形の完全な模範を持たない。基本動詞と派生動詞の2つの主要な同士のタイプがある。基本動詞は子音で終わる体系を持ち、派生動詞は、-aでおわる(使役完了のような)派生的な形態素などいくつかの分類を取り入れた体系を持つ。

基本動詞
基本動詞は、数において派生動詞より少ないが、シンダール語の音韻史に由来する非常に複雑な活用を持つ。

基本動詞は、gir-よりgiriのように-iを加えることで不定詞を作る。この語尾は、aまたはoがある場合、blab-よりblebiになるようにeへの母音変化を引き起こす。シンダール語は、めったに不定詞形を使わず、むしろ同じ意味を達成するため動名詞を用いる。

三人称単数を除く全ての人称において、girin、 girim、 girirのように、現在時制は-iの挿入と適切な前接の人称語尾によって形成される。不定詞と同様にaまたはoがある場合、pad-からなるpedin、pedim、pedirのようにeへの母音変化を引き起こす。三人称単数は、語尾を持たないため、-iの挿入を必要としない。シンダール語の音韻の歴史のため、語幹の母音が長くなる結果、gîr、 blâb、 pâdの如く、これは裸の語幹を残す。

基本動詞の過去時制は非常に複雑化され、十分に証明されない。ひとつの共通再構築システムはdarnのように-nを使うことである。しかしながら、この-nが実際に残るのは、-rの語幹のあとのみである。-lで終わる語幹の後において、-nは、tollの如く-llになる。-b, -d, -g, -v, -dhの後、それは音位転換され、子音の現在位置に従い同じ調音点に同化(言語学)される。子音はその後、-b, -d, -gが-p, -b, -cになり、-v, -dhが-m と -dになるような、「後方子音交替」と呼ばれることを経験する。人称語尾が加えられるとき、問題はさらに複雑化する。なぜなら-mp, -mb, -nt, -nd, -ncは、中央に生き残らず、それらは-mm-, -mm-, -nn-, -nn-, -ngになる。加えて-mを含む過去時制語幹はいかなる人称語尾の前に-mm-を持ちうる。これが圧倒的な変化であるが、段階的な変化を示す例として;

cab- > **cabn > **canb > **camb > camp, いかなる人称語尾で camm- になる
ped- > **pedn > **pend > pent, いかなる人称語尾で penn- になる。
dag- > **dagn > **dang (n pronounced as in men) > **dang (n pronounced as in sing) > danc, いかなる人称語尾で dang- になる
lav- > **lavn > **lanv > **lanm > **lamm > lam, いかなる人称語尾で lamm- になる
redh- > **redhn > **rendh > **rend > rend, いかなる人称語尾で renn- になる
未来時制は-thaを加えることで作られる。ここでもまた-iは、語幹と-thaの間に挿入され、aかoがある場合、eへの母音交替を引き起こす。一人称単数を除く全ての人称語尾は、giritham、 blebitharの如く、いかなる更なる変更を加えない。一人称単数語尾-nは、girithon、 blebithon、 pedithonのように-thaの中のaが-oになさしめる。

命令形は、giro!, pado!, blabo!のように語幹に-oを付加することで形成される。

派生動詞
派生動詞は、活用を起こす子音の組み合わせ数を減少させる語幹形成母音(通常はa)を持つため、それほど複雑でない活用を持つ。

不定詞は、lacha-からlachoを作るように、語幹の-aを-oに変換することで作られる。

現在時制は、語幹に変更を加えず形成される。人称語尾は、いかなる変更なしに付加される。

過去時制は、erthant、erthannerのように、人称語尾を付加すると-nneになる語尾-ntで形成される。

未来時制は-thaで作られる。一人称単数-nを加えると、これは-thoになる。

命令形は、不定詞のように形成される。

方言
第一紀 の間、いくつかのシンダール語の方言があった。

ドリアス語(Doriathrin) または ドリアスの言語は、多くの古い形式を残す言語形式である。
ファラス語(Falathrin) または ファラスの言語は、後にナルゴスロンドでも話された。
北シンダール語(North Sindarin)は、 もともとシンダール族によってドルソニオンとヒスリムで話された方言である。これら方言は、多くの固有語を含み、ベレリアンド固有のシンダール語とともに完全に理解されなかった。
ドリアス語を除き、方言はノルドール族の影響下で変えられ、(言語を変えることを好む)ノルドール族によってもたらされた独特の音素変化と同様に、多くのクウェンヤの特徴を採用した。目立った方言は、ノルドール族とシンダール族がベレリアンドの戦い後の間に分散された後、消滅した。バラール島とシリオン河口の避難所において、避難民の間で、主にファラス語に類似した新しい方言が生まれた。 第二紀と 第三紀にかけて、シンダール語は、シンダール語に強度に影響されたアドゥーナイクの直系である西方語により共通語としての地位を奪われるまで、全てのエルフとその友人たちのリングワ・フランカだった。

Sindarin は、実際はクウェンヤ語彙であり、「シンダールに」を意味する与格形である。シンダール語での形は、Edhellen(エルフ語)であったようだ。

2009年02月06日

森宗意軒という怪老人と出会った

森宗意軒という怪老人と出会った由比正雪は、紀州の徳川頼宣とともに江戸幕府、将軍徳川家光の天下を奪わんとする企てを進めていた。森宗意軒は、自らが編み出した忍法「魔界転生」によって、剣豪たちを意のままになる部下として生まれ変わらせてゆく。これは人並みはずれた技量と、死の直前になっても自分の人生に悔いを残している強烈な生の欲求を持つ人間が、死の直前に心から愛しいと思う女と交わることにより、新たな肉体と生前より優れた技量を持って生まれ変わる忍法であった。
ランド ドトラスト ジャム ガザニア マンホー ヒナガ ピンワ サテン ナスダック マクロ フォト ソンロ フラノ ロゴン もせう リアージ トポグ ロフィー ガスタン ぜんだな イコール ミサ全国 ジャンプ ハロー ロスジ ウィジ おおつち リヨン ビスタ ドッグ フォーカス トトカル トギザ ダリ タオル ッドカード ドーピ ダブル ライオ モブログ スノー くしろ エンド スノース バヌアツ ビラリー バスルガ チュリエ テーマソン リンド

「魔界転生」で蘇る剣豪達は転生衆と呼ばれる。天草四郎時貞、荒木又右衛門、居合の田宮坊太郎、宝蔵院流槍術の宝蔵院胤舜、尾張柳生流の柳生如雲斎、江戸柳生流の柳生宗矩、宮本武蔵ら名だたる剣豪たちが転生した。しかし、森宗意軒にはもう一人、どうしても魔界転生させたい男がいた。その男こそ柳生十兵衛である。ところが十兵衛は宗意軒の意に反し、関口柔心の息子、関口弥太郎などとともに転生衆と戦うことを選ぶ。

なお、転生衆に倒された剣豪には、田宮平兵衛、関口柔心、木村助九郎がいる(彼らの娘や孫娘を救う、仇をとるというのが十兵衛の動機のひとつになっている)。小説中では十兵衛が自分一人の力で敵を倒すことはほとんどなく、誰かしらかの力を借りているのも特徴である。なお、天草四郎は映画版一作目で敵方の総大将として描かれた影響か、後のマンガ作品などでも扱いが大きい事が多いが、原作小説中では宗意軒の愛弟子ではあるものの転生衆の一人に過ぎず、中盤で十兵衛によって倒されている。

映画版
1981年版
魔界転生(1981)
監督 深作欣二
製作 角川春樹
脚本 野上龍雄
石川孝人
深作欣二
出演者 千葉真一
沢田研二
若山富三郎
緒形拳
室田日出男
丹波哲郎
ほか
音楽 山本邦山
菅野光亮
撮影 長谷川清
編集 市田勇
配給 東映
公開 1981年6月6日
上映時間 122分
製作国 日本
言語 日本語
allcinema
Variety Japan
allmovie
IMDb
表・話・編・歴

スタッフ
製作:東映、角川春樹事務所
製作者:角川春樹
監督:深作欣二
脚本:野上龍雄、石川孝人、深作欣二
音楽:山本邦山、菅野光亮

キャスト
柳生十兵衛(千葉真一)
天草四郎時貞(沢田研二)
柳生宗矩(若山富三郎)
宮本武蔵(緒形拳)
ガラシャ夫人(佳那晃子)
松平伊豆守(成田三樹夫)
徳川家綱、細川忠興(松橋登)
柳生左門友矩(大場順)
柳生又十郎宗冬(島英津夫)
甲賀玄十郎(成瀬正)
酒井雅楽頭(内田朝雄)
板倉内膳正(角川春樹)
阿部豊後守(相馬剛三)
堀田備中守(丘路千)
戸田氏鉄(小林将孝)
水野勝成(林三郎)
細川忠利(中江英生)
立花宗茂(島田秀雄)
鍋島勝茂(壬生新太郎)
小笠原少斎(鈴木瑞穂)
佐々木小次郎(白井滋郎)
矢島局(久保菜穂子)
石田上総守(中村錦司)
神尾備前守(河合絃司)
松平隼人正(川浪公次郎)
富田主膳(鈴木康弘)
伊崎平内(有川正治)
安井藤兵衛(岩男正隆)
茂左衛門(浜村純)
茂左衛門の妻(東龍子)
宗五郎(犬塚弘)
与平(秋山勝俊)
彦作(野口貴史)
米十(白川浩二郎)
伊賀の長老(梅沢昇)
旅の僧(三谷昇)
声(白石加代子)
おつう(神崎愛)
お光(菊地優子)
伊賀の霧丸(真田広之)
宝蔵院胤瞬(室田日出男)
村正(丹波哲郎)

なお本作品は"Samurai Reincarnation"のタイトルでアメリカでもカルト的な人気を呼び、クエンティン・タランティーノらに影響を与えた。 天草四郎の衣装デザインは人形作家の辻村ジュサブローが行っており、その南蛮風の異様なデザインは天草四郎のイメージを決定付け後のリメイク作品にも大きな影響を与えている。 若山富三郎は劇中、魔界の者の不気味さを演出するため、一切まばたきをしないという工夫を行っている。 話題となった沢田研二と真田広之のキスシーンは、演出に無く沢田のアドリブであったと言われている。 ラストの炎の中での決闘は、合成ではなく実際にセットに火を放ってその中で演じられた時代劇屈指の名シーンである。 続編を期待させるような終わり方だったが、結局続編が制作される事はなかった。

1996年版
スタッフ
製作:ギャガ・コミュニケーションズ、ジャングル
監督:白井政一
脚本:菊地昭典
音楽:中川孝
特殊メイク:江川悦子
協力:日光江戸村

キャスト
柳生十兵衛(渡辺裕之)
由比正雪(田口トモロヲ)
柳生宗矩(和崎俊哉)
宮本武蔵(宮内洋)
荒木又右衛門(脇坂奎平)
春日局(清水ひとみ)
天草四郎時貞(吉田晃太郎)
おひろ(森山裕子/現:森山ゆうこ)
徳川頼宣(杜澤泰文)
松平伊豆守(石田信之)
オリジナルビデオでの製作で、The ARMAGEDDONというサブタイトルがつく。本作は2部構成となっている。第一部の正編に続き、妖怪たちとの対決を描く第二部の魔道変まで。

2003年版
魔界転生(2003)
監督 平山秀幸
製作 天野和人
赤井淳司
佐藤敦
出目宏
脚本 奥寺佐渡子
出演者 佐藤浩市
窪塚洋介
長塚京三
古田新太
加藤雅也
ほか
音楽 安川午朗
撮影 柳島克巳
編集 川島章正
洲崎千恵子
配給 東映
公開 2003年4月26日
上映時間 105分
製作国 日本
言語 日本語
allcinema
IMDb
表・話・編・歴

スタッフ
製作:「魔界転生」製作委員会(東映、角川書店、日本テレビ放送網、TOKYO FM、讀賣テレビ放送、日本出版販売、東映ビデオ)
監督:平山秀幸
脚本:奥寺佐渡子
撮影:柳島克巳
音楽:安川午朗
特殊メイク:原口智生
技斗:清家三彦
特撮監督:佛田洋
製作協力:東映京都撮影所

キャスト
柳生十兵衛(佐藤浩市)
天草四郎時貞(窪塚洋介)
宮本武蔵(長塚京三)
宝蔵院胤瞬(古田新太)
荒木又右衛門(加藤雅也)
柳生但馬守(中村嘉葎雄)
徳川頼宣(杉本哲太)
松平伊豆守(柄本明)
クララお品(麻生久美子)
おひろ(黒谷友香)
お雛(吹石一恵)
伊達小三郎(高橋和也)
徳川家康(麿赤児)
木村助九郎(浜田晃)
(國村隼)
本作でも続編を期待させるような終わり方だったが、2008年現在続編制作の情報はない。

2009年01月22日

形式的法源

「国際法の法源」には、一般的に二つの意味がある。

第一に、「形式的法源」(les sources formelles)であり、これは、国際法という法の存在のあり方をいう。「国際法の法源」と言った場合、通常、この意味が当てはまる。すなわち、国際法は、「条約」及び「慣習法」という形で存在する。これらに加えて、「法の一般原則」も国際法秩序における独立した法源であるとする考えも、今日では広く認められている。また、「判例」や「学説」は、これら条約、慣習法、法の一般原則の内容を確定させるための補助的法源とされている。これらのことは、国際司法裁判所規程38条1項に規定されている。

最新の議論によれば、大沼保昭東京大学教授によって、「裁判規範」と「行為規範」の区別が主張されている。すなわち、国際司法裁判所規程38条に列挙された、条約、慣習法、法の一般原則は、あくまで裁判を行う時に適用される法源であり、国家が国際社会で行動するときに拘束される国際法は、これらに加えて他にもあり、例えば、全会一致またはコンセンサスで決められた国連総会決議も行為規範として、国家を拘束すると主張される[5]。国際司法裁判所の確立した判例によれば、国連総会決議は、たとえ拘束的ではなくとも、法的確信(opinio juris)の発現を立証する重要な証拠を提供する、とされる(「核兵器の威嚇または使用の合法性」勧告的意見、I.C.J.Reports 1996, Vol.I, pp.254-255, para.70. 「ニカラグアにおける軍事的・準軍事的行動事件」判決、I.C.J.Reports 1986, pp.100-104も参照せよ)。

第二に、「実質的法源」(les sources matérielles)を指す場合がある。これは、上記、「形式的法源」(特に、条約と慣習法)が成立するに至った原因である、歴史的、政治的、道徳的要素や事実を指す。このように、「実質的法源」は、法的拘束力を有する法そのものではなく、国際法成立の要因であり、特に、法社会学の対象分野であるといえる。国家による一方的行為/一方的措置は、慣習国際法を形成する要因として、実質的法源になりうる。

条約法
条約法は、国連国際法委員会(ILC; International Law Commission)によって慣習法を漸進的発展とともに法典化した、1969年の「条約法に関するウィーン条約」(Vienna Convention on the Law of Treaties; VCLT)が主として機能する。しかし、同条約の批准国は100あまりにすぎず、フランスなど有力な国も批准していないことから、ときおり、特定の条項について、その一般的効力が争われる。

条約法条約は、条約の締結(conclusion)、解釈(interpretation)、適用(application)について定める。

同条約は、「国の間において文書の形式により締結され、国際法によって規律される国際的な合意」を対象としている(2条)。しかし、一般国際法上、文書によらない国家間の合意も拘束力があり、そのことを同条約は害しないとする(3条)。

条約の締結は、国家間の交渉(全権委任状、7条)、条約文の採択(9条)、国の同意の表明(署名(signiture)、批准(ratification)、加入(admission)、11条)により成る。最後の国家の同意については、単なる技術的、事務的な行政取極の場合は、署名だけで効力を発するが、通常の条約は、国内での承認(approbation)(日本では国会の承認)を経ての認証である批准が必要とされる。

条約の締結について、今日、最も議論があるのが、留保である。留保とは、国家が、条約に署名、批准、加盟する際に、特定の条項の全部又は一部の適用を除外する旨の一方的宣言をいう。留保は、当該条約が禁止していない限り許される(19条)。当該条約で特別な定めがある場合はそれに従うが、特に規定されていない場合には、留保は、それに対して異議を表明しない国家に対して効力を有するが、留保の表明から12ヶ月以内に異議を表明した国家に対しては、それを主張できない(20条)。なお、留保は、その条約の趣旨、目的に反しない限りにおいて、有効である(1951年「ジェノサイド条約に対する留保」国際司法裁判所勧告的意見、C.I.J.Recueil 1951, p.24)。これに従って、現在、特に人権条約において留保が許されるかという問題が議論されている。ILCは、留保に関する慣習法の法典化作業を進めている(特別報告者、Alain Pellet)。2007年の第59会期ではガイドライン案3.1.5から3.1.13が採択され、3.1.12によれば、人権条約に対する留保の条約の趣旨目的との合致性は、条約で定められた権利の「不可分性」(indivisibility)、「相互依存性」(interdependence)、「相互関連性」(interrelatedness)を考慮に入れなければならないとされた(A/62/10)。

解釈に関しては、条約法条約31条が定めている。まず、「条約は、文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈するものとする。」そして、「文脈」とは、前文、付属書に加えて、当事国の後に生じた慣行や当時国間に適用される国際法の規則までも含む(31条3項)。近年、この規定に基づき、条約締結時の当事国の意思を離れて、現存する関係国際法規を考慮する「発展的解釈」(l'interprétation évolutive)が、特に環境法の分野において、さかんに行われている(例えば、1997年「ガブチコヴォ・ナジュマロシュ計画事件」国際司法裁判所判決、I.C.J.Reports 1997, pp.77-78, para.140)。

適用に関しては、特に、条約の第三国に対する効力が問題となる。条約法条約は、条約が第三国に権利または義務を設定する場合には、その第三国の同意が必要であるとし(34条)、義務を課す場合は、明示の同意が必要(35条)、権利を付与する場合は同意が推定される(36条)と規定する。しかし、これらの規定の例外として、「客観的制度」(objective régime)の理論が学説上、主張されることがある。その例として、南極条約体制は、人類全体の利益に資するとして、締約国以外の第三国にも対抗できる(特に、南極における海洋資源保護)と主張される場合がある(国際化領域の項目も参照)。また、「相前後する条約の効力」として、条約法条約は、「後法は前法を廃す」の原則を置いているが(30条)、例えば、1989年の「有害廃棄物の国境を越える移動及びその処分の規制に関するバーゼル条約」よりも後にできた、1994年の世界貿易機関(WTO)を創設する「マラケッシュ協定」が定める自由貿易制度が優越するのか、といった疑問が提示されうる。
チック ぐうわ ラガーマ ヒール 黄砂の時間 ヨル ラジル セルン レイン ピックス フリーク 黄金バッド ランナー ウエポン ハムスライ かいわれ セサミン ガスホ ラスパ ヒップ バレンタ ルナス フェミニ ホガニー オランウー トレイン レッスン キムチ ビーチ サイト リードグ シルバ シフォンケ グッド カプチーノ ヒット フェロ ビーシ 男の街 フリー ミニマム ウンボク りゅうがん オーナー ちりめん ブーケト キレート フレン ドライバー バリュー

最後に、条約法条約は、強行規範(ユス・コーゲンス; jus cogens)に反する条約を無効とする(53条)。これまで、古典的学説の立場から、ユス・コーゲンスの存在に対して懐疑的な立場も根強く見られたが、2006年の「コンゴ領における武力行動事件(2002年新提訴)」(管轄権)(コンゴ対ルワンダ)で国際司法裁判所としては初めて明示的にユス・コーゲンスの存在を認定し(arrêt, par.64)、この問題に決着がついたといえる(2007年の「ジェノサイド条約の適用に関する事件」(ボスニア・ヘルツェゴビナ対セルビア・モンテネグロ)判決でもユス・コーゲンスの存在を認定、Judgment, para.185)。

2009年01月15日

ギルバート・ケイス・チェスタートン

マルトース テノール ショート セント エピロ フリンジ デネボラ ジャケツ モモアク ラウンド ドナー シニフィ きたひろ パンフォス デポ最新 ライス バラスト ワンレン ジュニ キメラ マスド ギブス スカブラ アーティ マーメイド ミサリー リンガイ マザー メーソン ウショウ ダイス ピンナップ ノック ランボ ノッポ プロフ あめだ スクラム インタ ヒップ スタイル シャベル ミール スポンジ ハティ アイホール リナム ハッスル サタン アフロ

ギルバート・ケイス・チェスタートン(Gilbert Keith Chesterton、1874年5月29日 - 1936年6月14日)はイギリスの作家・推理作家・批評家。ディテクションクラブ初代会長。日本ではチェスタトンと呼ばれることも多い。

1874年ロンドンはケンジントンの不動産業・土地測量業の家に生まれる。1887年にセントポール校に入学すると一年下のE・C・ベントリーと出会い生涯の親友となる。当初は画家を志し、1891年スレイド美術学校(ロンドン大学付属)に入るが挫折して、文学を志すようになる。ボーア戦争勃発に際しては反イギリス側の論客として頭角をあらわし自由主義派の有力な論客としてイギリスの政治・社会を糾弾していった。

1922年にイギリス国教会からカトリックに改宗。後期ヴィクトリア朝時代の物質主義・機械万能主義と自己満足とに対して鋭い批判を加えた。得意の警句と逆説を駆使した彼の文芸批評、文明批評は鋭利である。資本主義・社会主義双方を排撃し配分主義を提唱した。1936年に死去しその葬儀はウェストミンスター大聖堂で行われた。(このときカトリックの聖職者として葬儀を執り行ったのは推理作家として有名なロナルド・ノックスである)

本格派推理トリック創出者である反面、作風として当時の知識層の例に漏れず、キリスト教徒としての視点、また当時の植民地主義に立脚する、黒人やインディアン、インディオ、東洋人など、他民族への偏見・蔑視が色濃いことも特徴である。

カトリック教会のブラウン神父が遭遇した事件を解明するシリーズが、探偵小説の古典として知られている。江戸川乱歩は「チェスタートンのトリック創案率は探偵小説随一」と賞賛している。エッセイや評論にも名品があり、ディケンズの評伝はT・S・エリオットなどによってこの分野の最高のものとみなされた。並外れた巨体でも有名であった。(ジョン・ディクスン・カーの創造した探偵、ギデオン・フェル博士のモデルとも言われる)

トマス・スターンズ・エリオット(Thomas Stearns Eliot, 1888年9月26日 - 1965年1月4日)は、イギリスの詩人、劇作家で文芸批評家である。代表作には、5部からなる長詩『荒地』(The Waste Land、1922年)、詩劇『寺院の殺人』(Murder in the Cathedral、1935年)、詩劇論『詩と劇』(Poetry and Drama、1951年)などがある。

誕生はアメリカ合衆国のミズーリ州セントルイス。ハーバード大学で、アーヴィング・バビットに師事し、卒業後、ヨーロッパ各地と米国を往復し、研究活動を行う。その後はソルボンヌ大学やマールブルク大学、オックスフォード大学にも通う。1927年にイギリスに帰化し、イギリス国教会に入信。「文学では古典主義、政治では王党派、宗教はアングロ・カトリック」と自身を語っている。有名な「四月は残酷きわまる月(April is the cruellest month)」で始まる長編詩『荒地』で第一次世界大戦後の不安を描きだした。また、評論『伝統と個人の才能』(Tradition and the Individual Talent、1919年)によって、保守主義の思想家としても知られている。この中で、エリオットは「詩人とは表現するべき個性を持たず、特定の表現手段を持つ人で、それは個性ではなく手段であり、その中で印象や経験が特殊な予期せぬ状態で結合する。」と書いている。

1948年度のノーベル文学賞を受賞した。

作品

荒地
1921年に初稿を執筆。エズラ・パウンドの助言により、エピグラフ(コンラッド『闇の奥』の引用)の変更や、エピソードの削除等を行った。

フレイザー『金枝篇』の聖杯伝説を骨格として、聖書、ダンテ、シェイクスピアなどの引用を散りばめ、意識の流れの手法も用いて、第一次世界大戦後の荒廃した世界と救済への予兆を描きだした。末尾にはサンスクリット語も使用され、インド思想の影響も指摘されている。

1922年に文芸誌に発表。433行の難解な詩であり、中々理解されなかったが、1930年代になってF・R・リーヴィスらに評価されるようになった。

四つの四重奏曲
1935-42年の'Burnt Norton' 'East Coker' 'The Dry Salvages' 'Little Gidding'を1つに纏めたもの(1943年)。『荒地』のような緊張感は無い。初期と比べると宗教的な主題が強くなる。森山泰夫の和訳がある(大修館)。

寺院の殺人
1935年に発表された。殉教者トマス・ア・ベケットを主人公とする。無韻詩で書かれている。『寺院の殺人』(1935)の第2幕に登場する「誘惑者」と主人公トマスの対話は、シャーロック・ホームズの『マスグレーブ家の儀式』を真似たものである。

その他
1939年,児童向けの詩 『キャッツ - ポッサムおじさんの猫とつき合う法』を発表、なお、ポッサムおじさんは、エズラ・パウンドが彼につけた渾名である。エリオットの死後、この作品が、ウェスト・エンドとブロードウェイにおけるアンドリュー・ロイド・ウェバーの大ヒットミュージカル『キャッツ』の原作となる。